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東京地方裁判所 平成10年(ワ)163号 判決

原告

甲野太郎

被告

乙川一郎

右訴訟代理人弁護士

海法幸平

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する平成七年一〇月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  事案の要旨及び争点

1  原告は、三名の被害者に対する殺人及び二名の被害者に対する殺人未遂の罪により、前橋地方裁判所高崎支部で死刑の判決を受けたので、これを不服として、東京高等裁判所に控訴した(以下「本件控訴審」という。)。

被告は、原告の右刑事事件の控訴審において、国選弁護人を務めた弁護士である。

本件は、原告が、被告に対し、被告が控訴審における弁護人としてなすべき義務を尽くさず、その結果、原告は著しい精神的損害を被ったとして、不法行為に基づく慰謝料として一〇〇〇万円の支払を求めた事案である。

2  本件の争点は、被告が国選弁護人としてした活動が、弁護人としての注意義務に照らし、違法であり、不法行為を構成すると評価されるか否かである。

二  争いのない事実及び証拠(甲一号証、二号証、四号証、五号証、乙一号証ないし三号証、四号証の一、二、五号証、六号証ないし一〇号証の各一、二、一一号証の一ないし三、一二号証、一三号証、一四号証の一、二、一五号証、一六号証の一、二、一七号証ないし一九号証、二〇号証の一、二、二二号証、二四号証ないし二七号証、二八号証の一、二、二九号証の一ないし三、原告本人)及び弁論の全趣旨により認められる事実

1  原告(昭和二三年一月二三日生)は、昭和四三年、傷害等の罪により懲役二年、執行猶予四年の判決を受け、右猶予期間中の昭和四五年に強姦致傷罪により懲役三年の実刑判決を受け、前刑と併せて約四年間服役したが、右仮出獄中の昭和五〇年、更に殺人罪により懲役一〇年の実刑判決を受けて再度服役し、昭和六〇年に出所した。

出所後、原告は、水道設備会社に就職し、平成二年ころからは独立して、群馬県高崎市内において、水道設備関係の仕事を自営していた。

2  本件刑事事件

(一) 原告は、平成三年一二月ころ、友人の紹介でA(以下「A」という。)と知り合い、交際を続けていたが、平成六年二月一三日夜、群馬県安中市内において、同女(当時四二歳)をハンマーで多数回殴打して惨殺した上、更に、同女の両親(B六九歳及びC六五歳)を同様にハンマーで惨殺し、引続き、Aの妹(D二九歳)及びその娘(E六歳)をも殺害しようとしたが、右両名に対する殺害行為はDの夫が阻止したため、未遂に終わった。

(二) 原告は、右事件により、前記各被害者に対する殺人及び殺人未遂の罪で、前橋地方裁判所高崎支部に起訴された(平成六年(わ)第二六号、第四二号)。

同裁判所は、平成六年四月から数回公判期日を開いて審理し、同年一一月九日、右各起訴事実を認定した上、原告に対し死刑の判決を宣告した。

右第一審の手続においては、原告のために国選弁護人として丙山二郎弁護士が選任された。原告及び丙山弁護士は、起訴事実を全て認め、検察官提出の書証等の取調べにつき全て同意した。

(三) 第一審判決は、原告のA殺害の動機につき、原告の結婚願望の強かったことにつけこんで、同女が結婚するような素振りをみせて、多額の金銭を用立てさせたことに腹を立て、それでも原告としては同女への未練を断ち切れなかったころから、いずれは自分も死ぬつもりで、同女を殺害することを決意した、Aの両親に対する殺害の動機は、両名が原告とAとの結婚に消極的であったことを、結婚を邪魔するものと邪推して逆恨みした、Aの妹及びその娘に対する犯行の動機は、右三名の道連れにAの一家を皆殺しにしようとしたと、それぞれ認定しており、また、原告の犯罪性向は、まことに根深く、矯正不可能であると断ぜざるを得ないが、右性向が本件各犯行に対する原告の責任能力に影響を及ぼすものでないことは関係証拠に照らし明白であると判示し、更に、原告に有利な情状の一つとして、原告が公判廷において、一〇〇〇万円以上ある原告の財産から父親の生活費を除いた残りを被害弁償に充てたい旨表明していることを指摘している。

(四) 原告は、右第一審判決を不服として、即日、東京高等裁判所に控訴した(平成六年(う)第一五一八号)。

3  被告(明治四〇年二月二八日生)は、長く裁判官として勤務し、東京高裁部総括判事を最後に退官し、昭和五二年一二月弁護士登録をして、第一東京弁護士会に所属している者であり、これまで多数の国選弁護事件を引き受けてきた。

4  本件控訴審の経過等

(一) 原告は、本件控訴審においても、国選弁護人の選任を希望したことから、控訴裁判所は、第一東京弁護士会に対して、国選弁護人の推薦を依頼し、被告は、第一東京弁護士会の国選弁護担当者から依頼を受け、原告の国選弁護人となることを了承し、その結果、控訴裁判所は、平成六年一二月一五日、被告を本件控訴審における国選弁護人に選任した。

(二) 被告は、間もなく、本件の第一審の国選弁護人を務めた丙山弁護士から本件刑事事件の謄写書類等の送付を受け、平成七年(以下「平成七年」の記載は、原則として省略する。)一月から二月末まで相当回数控訴裁判所に赴き、同裁判所の閲覧室で、本件刑事事件の控訴記録を閲覧した。

被告は、従来から、国選弁護の場合は、原則として刑事記録の謄写は行わず、直接記録を閲覧してメモを取る方法を採っていたので、本件の場合も、この方針に基づき、直接記録から詳細なメモを取り、事件の把握に努めた。

(三) 被告は、本件受任後、原告にその旨を連絡していたところ、平成六年一二月二三日、原告からの手紙(乙四号証の一、二)を受領した。右手紙には、原告の言い分が詳細に記載されており、特に本件犯行の原因は、Aが当初から原告とは結婚する意思がないのに、金員を騙し取るために結婚を承諾するといい、その後もその態度を続けたことにあり、その点からいっても、死刑判決は重すぎる旨が強調され、また、本件犯行当時、原告は酒を飲んでいて正常な判断ができなかったことも原因であると記載され、更に、裁判記録を自ら検討したい(原告は、第一審裁判所に事件記録の謄写を請求したが、すでに控訴審裁判所に送付したとの理由で、送付を受けることができなかったという。)ので、拘置所に差し入れてくれるように依頼した。

これに対し、被告は、一月一四日付で返事の手紙を書き、現在記録を検討中であり、いずれ接見に行くことを伝えるとともに、この種の事件では、弁護人とは別に、原告本人としても控訴趣意書を作成するように勧めた。また、裁判記録の差入れの希望については、法律の規定を説明して、弁護人を介して記録の謄写をするほかないが、そのためには相当の費用や日時もかかるし、膨大な量になることから、原告が自費ででも謄写して記録を検討したいのであれば別であるが、被告としては差入れをする考えはない旨告げた。

(四) 原告は、以前から控訴趣意書の作成に着手していたところ、その完成直前に被告から前項の返書を受領したので、これをこのまま原案(乙二号証)として完成させ、一月二四日付の手紙(乙五号証)とともに被告に送付した。

右控訴趣意書の原案は、原告の当初の手紙の内容をベースとしたもので、本件犯行に至るまでの経緯について、Aは当初から結婚する意思がないのに原告から金銭を引き出すために、その意思があるように装って原告を騙したとして、Aを非難し、Aがこのように原告を騙さなければ、本件殺人は起こらなかったとし、また、本件は、飲酒の影響により正常な判断ができない上での突発的事件であり、強盗殺人や誘拐殺人といった計画的犯罪とは違うのであるから、死刑の量刑は重すぎるとの記載がされている。

また、右原案に同封した手紙には、本件は、真剣に結婚を望んでいたのにAに騙し続けられた点と酒を飲んでいたため正常な判断ができなかった点で普通の事件とは全然異なることが記載され、被告の助言を求める旨が記載されている。

更に、原告は、二月三日付で被告に対する手紙(乙六号証の一、二)を送付した。右手紙には、出所後懸命に働き、一定の財産を形成した原告の善意を騙し続けたAと比べると、原告が悪いとはどうしても思えず、結果ばかりでなく、本件刑事事件の原因を善意の目で見て欲しいと記載されている。

(五) 被告は、二月二四日、東京拘置所において、原告と第一回目の接見を行った(以下「第一回接見」という。)この際の接見時間は、約三時間に及んだ。

被告は、記録を検討した結果に基づいて、事件についての疑問点を質し、原告はこれに対する自らの認識を述べた。

被告は、第一審判決で指摘された被害弁償を実行することが情状上必要である旨を説明し、その結果三〇〇万円を被害者側に支払うものとし、原告と被告が連絡してこれを実行することが合意された。

また、原告は、被告に対し、再度刑事記録の写しの差入れの希望を述べたが、被告が前記手紙と同内容を告げたところ、原告からは、自費でも差入れを希望するとの意向は示されなかった。なお、精神鑑定については、格別問題とされなかった。

(六) 原告は、その後、自ら控訴趣意書(乙三号証)を作成し、三月六日までに、直接、控訴裁判所に送付した。被告は、控訴裁判所から右控訴趣意書の写しの交付を受けた。

原告作成の控訴趣意書の記載内容は、おおむね原案(乙二号証)と同一であり、本件の原因は、出所後真面目に働いてきた原告をその意思もないのに結婚すると欺罔して多額の金員を騙取したAにあり、原告は、当時飲酒の影響で正常な判断ができなかったものであること、死刑は、被告人に斟酌すべき情状がないときにのみ科されるべきであると主張するものである。

また、原告は、三月一六日被告受領の手紙で被告に対し、第一回接見についての礼を述べるとともに、Aは当初から結婚するつもりはなかったとの認識を繰り返し、火をつけたのは原告でなく、相手であると強調している。

(七) その後、原告は、原告の父親に連絡して、被害者への弁償金として三〇〇万円を用意させた。被告は、第一審の国選弁護人であった丙山弁護士に依頼して、同弁護士から遺族に対しこれを交付するよう手配した。その結果、被害者の遺族は、三月二七日、丙山弁護士から右三〇〇万円を受領し、被告は、その領収書の送付を受けた。

(八) 被告は、三月末までに控訴趣意書(乙一二号証)を作成し、控訴裁判所に提出するとともに、原告にも送付した(甲二号証)。

被告作成の控訴趣意書は、手書きで書かれた三四丁にわたるものである。

その冒頭に、被告として、記録、原告からの書簡、接見の内容等に基づき、独自に控訴趣意書を用意したので、原告作成の控訴趣意書の内容と趣きを異にする点があるが、原判決を破棄し、より軽い科刑に変更されることを要望するものであることにおいて、原告と一致するものであることを主眼とするものであることを主張し、一審弁護人を通してすでに原告から被害者遺族に一〇〇万円が支払われていることを指摘している。

次に、本件事件につき被告が検討した結果を記載している。

その内容は、本件事件が原告の前科と関連していることを記した後に、本件刑事事件の経緯、動機について、被告の視点から、Aは、当初は原告からの結婚申込に対し、色よい返事をしていたが、その後徐々に結婚の約束をしたことを後悔したものの、多額の金員の提供を受けているので、単純に約束を撤回することもならず、第三者の力を借りて原告にあきらめさせるよう工作をしたものである、一方原告の方では、Aは金目当てに結婚の約束をして原告を騙しあまつさえ情人を作り原告を裏切ったと一途に思いこんでAを惨殺し、ひいては一家惨殺に及んだとし、結局、原告とAの性格の不一致、生活態度の相違、相互了解の欠如、Aの両親に対する誤解が最大の原因であると指摘した。

なお、原告の当時の精神状態に関しては、翌朝のため米もといで出かけたという位であるから、物事の判断ができぬような精神状態ではなかったと記載している。

そして、結論として、原告の性格には、短慮、自己中心的な点が見受けられるにしても、殺人嗜虐的傾向を有する生来性の常習性犯罪者と断じ、矯正不能とまで論ずるのは極論であると指摘し、最後に、一審の弁護人を通じて、原告が被害者に謝罪金として三〇〇万円を交付したことを指摘して、一審判決指摘の被害弁償についても一応の結果を得たことを報告している。

この控訴趣意書に対し、四月はじめ原告から被告宛に、被告の控訴趣意書についての読後感を記した手紙(乙九号証の一、二)が送付された。その中で、原告は、依然として、犯行動機に関する自らの見解を維持しているものの、被告の見解に関する不満は特に述べられていない。

(九) 被告は、四月一七日、控訴裁判所で、裁判所、検察官との事前打ち合わせに臨み、立証としては、被害弁償関係の書証及び原告の手紙数通のほか、原告の父甲野次郎の証人尋問及び被告人質問を予定している旨を述べた。また、その際、原告作成の控訴趣意書の取扱いについては、裁判所の示唆を受けて書証として扱うことに同意し、原告に対する精神鑑定については、申出の意思を示さなかった。

(一〇) 被告は、五月九日、東京拘置所において、主に公判期日の打ち合わせのため、原告と第二回目の接見を行った(以下「第二回接見」という。)。接見時間は約二時間であった。

原告は、第二回接見に対する謝意を表す手紙(乙一〇号証の一、二)を被告に送付した(五月一八日受領)。

(一一) 六月二八日、原告に対する控訴審の第一回公判期日が開かれた。

右期日においては、被告作成の控訴趣意書の陳述がされたのち、前記各書証の提出、取調べがされ、原告の父親に対する証人尋問及び原告に対する被告人質問がそれぞれ行われた(なお、控訴裁判所は、前記打合わせに従って、被告作成の控訴趣意書のみを控訴趣意書とし、原告作成の控訴趣意書は、書証として取り扱った。)。そして、同日、弁論は終結となり、判決宣告期日は追って指定とされた。

第一回公判期日後、原告から被告に対し、公判の感想を記した手紙(乙一四号証の一、二)が送付された。右手紙には、被告と原告の意見が咬み合わず、原告としても思っていることを十分に話せなかったけれども、原告が十分に反省していることを判ってもらえることを期待しているとの記載がされ、最後に被告に対する感謝の趣旨が記されている。

(一二) 控訴審は、一〇月六日、原告に対し、控訴棄却の判決を宣告した。

右判決において、控訴審は、犯行の動機について、Aの原告に対する対応からは、原告に対して結婚を約束して多額の金銭的援助を引き出しておきながら、この約束を反古にして金銭関係についてもけりをつけないまま手を切ろうという極めて利己的な意図が濃厚に看取されるとし、Aが当初から結婚の意図など全くなかったのか、当初は結婚してもよいという程度の気持ちはあったものの、その後嫌気がさして原告から離れたいと思うように至ったのか必ずしも明らかではないけれども、いずれにせよ、このようなAの態度は原告の立場からすると極めて背信的なものと受け取めざるを得ないものであったことには変わりはなく、被告人がAに対して憤りを感じたこと自体は、それなりに理解できると説示した上で、Aに弁明の機会を与えることなく残忍極まりない態様で殺害に及んだ所為の動機としては、原告のために酌むべき事情に当たるとは認められないとし、前科との関連からみて、原告には、女性の生命、人格を極度に軽視、蹂躙して顧みようとしない反社会的で特異な犯罪性向、自己中心的、独善的、偏執的で凶暴残忍性、爆発性を秘めた性格が濃厚に認められ、本件もこのような犯罪性向、性格の発露として敢行されものにほかならず、原告のこのような犯罪性向、性格は、もはや矯正不可能なまでに強固なものになっていること、その他の被害者らに対する犯行については、原告に同情すべきものは全くなく、理不尽の極みと判断し、原告には真の意味での反省改悟も内省もなく、Aの行為が本件を誘発する一因となったこと、控訴審段階における被害弁償の事実(原告の弁償としては極く僅かなものにすぎないというべきではあるが)、その他、原告のために酌むべき諸事情を最大限に勘案しても、一審判決の量刑は止むを得ないもので、重過ぎて不当であるとは到底いえないと判示している。

原告は、控訴審判決の後の被告宛の手紙(乙第一六号証の一、二、一〇月一一日受領)で、被告に対し、感謝の意を表するとともに、自らの言い分が認められなかったことは残念であり、一審段階からの打ち合わせが不十分であったとの感想を述べている。

5  その後の状況

(一) 原告は、右控訴審判決を不服として、一〇月八日、最高裁判所に上告し、現在審理中である(平成七年(あ)一〇八四号)。

原告は、上告審で三名の私選弁護人を選任している。上告趣意書は、四部構成となっており、更に上告趣意書補充書が付加されている。そのうちの上告趣意書第二部(甲四号証)では、控訴審における被告の弁護活動が不十分であり、原告の弁護人選任権が侵害されたとの詳細な主張がされている。

(二) 原告は、平成九年八月二〇日、第一東京弁護士会に対し、本訴とほぼ同様の主張に基づき被告の懲戒請求をしたが、同年一一月二一日、同弁護士会綱紀委員会は、被告を懲戒委員会の審査に付する必要はないとの議決をした。

原告は、さらに、これを不服として、日本弁護士連合会に異議の申出をしたが、平成一〇年七月一四日、異議の申出は棄却された。

三  争点に対する当事者の主張

1  原告

(一) 死刑判決が軽減されるものと誤信させたこと

被告は、第一回接見の際、原告に対し、「私は元高裁の裁判長をやっていた」と自己の経歴をひれかざし、裁判官時代には有名な死刑事件を無期刑にしたこともあると話した上、三〇〇万円程度を被害弁償すれば死刑判決が軽減されるとの趣旨を述べた。

原告は、この被告の話を聞いて、被害弁償をすれば死刑が軽減されると信じ込まされた結果、事実関係について控訴審で主張したかったことについても被害弁償で刑が軽減されるのであれば敢えて主張しなくてもかまわないと判断して、その旨を強く主張せず、結果として控訴審における弁解の機会を不当に奪われてしまった。

被告は、控訴審判決の宣告の後、原告と面会し、「無駄金を使わせて悪かった」と述べたが、これも被害弁償すれば軽減されると述べたことを示している。

(二) 刑事記録の差入れを拒否したこと

原告は、自ら刑事記録を検討したいと思い、被告に対し、その差入れを要請したが、被告は、これに応じなかった。

原告がそれ以上差入れについて要請をしなかったのは、被告が被害弁償をすれば刑が減軽されると述べ、原告もそのように誤信させられたため、記録を検討した上での細かな主張は不要であると考えたからに過ぎないのである。

したがって、記録の差入れを拒否した被告の措置は違法である。

(三) 精神鑑定の申出をしなかったこと

原告は、本件事件当時飲酒状態にあり、善悪の判断がつかない状態にあった。そのため、原告は、控訴審において自らの精神鑑定を強く望み、被告にもその旨を依頼したが、被告は、原告の意に反し、精神鑑定の申出を行わなかった。原告がそれ以上強く精神鑑定を要求しなかったのは、被害弁償すれば刑が減軽されると信じていたからである。

(四) 原告にとって有害無益な控訴趣意書を提出したこと

被告作成の控訴趣意書は、原告の性格をことさら悪く評価しており、原告にとって有害無益な内容となっている。また、犯行の動機について、原告は、Aが当初から原告と結婚する意思がないのに、金銭を得ようとするために原告に近づいてきたため、だまされたと思い逆上したと主張しているのに、被告の控訴趣意書は、原告の主張を全く反映せず、被告独自の見方を押しつけているに過ぎない。

そもそも、弁護人は、被告人の利益のために活動すべきであり、真相の究明や裁判官的立場からものを見ることは、弁護人の責務とはいえないのである。

原告は、被告作成の控訴趣意書を読み、大いに不満であったが、被告が被害弁償をすれば刑が軽減されるといったので、敢えてその内容に関し、被告に不満を述べなかったに過ぎない。

(五) 公判廷において原告を十分弁護しなかったこと

被告は、本件控訴審の公判期日において、死刑判決の軽減を求める発言を一言も発しなかった。また、本件のような死刑事件では、一回の期日で終結することなどあり得ず、良心的な弁護士であれば、少なくとも数回の期日を要する弁論を行ってくれるものである。

(六) 被告の以上の一連の不当な弁護活動は、弁護士倫理や弁護人としての職務に違反し、故意又は過失による不法行為を構成するものというべきである。

右不法行為により原告の被った精神的苦痛を慰謝すべき金額は少なくとも金一〇〇〇万円を下らない。

(七) よって、原告は、被告に対し、右不法行為に基づく慰謝料として金一〇〇〇万円及びこれに対する不法行為の日の後である平成七年一〇月七日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  被告

原告の主張は、全て争う。すなわち、

(一) 被告が、原告に対し、被告の過去の経歴として、東京高裁の裁判長を務めたことや死刑事件を担当した経験話をしたことは認める。

しかし、本件は、その結果の重大性、犯行態様からいって、原告が三〇〇万円を被害弁償したことのみによって、刑が減軽されることが予見されるものでないことは明らかである。長く刑事裁判に携わってきた被告の経験からしても、被告が、原告に対し、被害弁償すれば刑が軽減されることを誤信させるような発言をすることは、ありえない。

(二) 被告が原告から、刑事記録等の差入れを求められたことは認める。

しかし、被告は、国選弁護人として受任した場合は、右の制度が国費で運用されていることを考慮し、費用のかかる記録謄写は一切せず、多量の時間をかけても自ら記録を閲覧して要約メモを取る主義をとっており、本件においても同様の方針をとったものである。したがって、右の原告の要求に対しても、原告が記録謄写料を負担するならば謄写するとの意見を付けて回答したのであって、これに対する原告からの要求はなかった。

(三) 原告が、控訴審において精神鑑定を希望していたことは認める。

しかし、第一審判決でも、本件において原告の精神障害に関し疑いを全く差し挟む余地がないとされており、被告としてもこの判断を相当と考えたので鑑定申立をすることは差控えたのである。形式的な鑑定申立は、弁護人に託された真相究明に協力すべき責務の放棄に連なるおそれがあるといわざるを得ないのである。

(四) 刑事事件の真相は、裁判官だけでなく、検察官、弁護人も協力して探究すべきものであり、弁護人としても被告人の基本的人権の擁護はもちろん、社会正義を実現するという立場からすれば、事案の真相究明のため被告人の不利な点にも目を向けなければならないのは当然であって、加害者に対しても、被害者に対しても、正邪ともに究明されるべきである。被告は、この観点に立って、控訴趣意書を作成したものであり、原告の見解と事案の見方に相違があったとしても、そのことの故に、何ら非難される理由はない。

(五) 被告は、被告作成の控訴趣意書冒頭部分で、量刑不当を主張し、死刑の軽減を求めていたことは明らかである。

第三  当裁判所の判断

一 刑事被告事件における国選弁護人は、憲法第三七条三項後段、刑事訴訟法第三六条以下の規定により、貧困その他の事由により弁護人を選任することができない被告人のために裁判所が職権をもって付する弁護人であって、被告人自身が選任する私選弁護人の場合と異なり被告人との間に直接の委任契約関係が存在するものではないが、その性質上私選弁護人と同様に善良な管理者の注意義務をもって弁護活動を行うべき法律上の義務を被告人に対して負担するものと解するのが相当である。

そして、刑事事件の被告人は、一方当事者である検察官に比して、法律的権限の点においても、法律的知見の点においても劣勢にある上、特に、その身柄を拘束されている場合には、外界との交通が著しく制限されて強い不安感を抱いているのが通常であるから、被告人としては、弁護人を頼みとして、自己の立場を補強し、自己に有利な弁護活動がされることを期待することが当然であり、弁護人制度の第一次的意義は、この点に存するものというべきである。したがって、弁護人は、まず、被告人の言い分を十分に聴取し、その意図するところを十分に汲みとらなくてはならないものというべきである。

他方、弁護人も刑事訴訟に関与する者として刑訴法一条所定の目的達成に協力すべき公共的立場をも兼有することは否定できないから、弁護士としての良心及び右公共的責務の観点からみて、被告人の意にただ従わなければならない法的義務はないものというべきことは当然であって、これらの義務をどのように調和させて具体的弁護活動をすべきかについては、弁護人の活動が高度に技術的かつ複雑であることも考慮すると、当該弁護人に幅広い裁量が認められているというべきであって、当該活動が著しく右裁量権を逸脱したと認められる場合に限って、違法と評価されるものと解するのが相当である。

二  以上の観点から、本件において原告が非とする被告の弁護活動が、被告に課せられた前記注意義務に反して違法と評価すべきであるか否かについて、順次検討する。

1  死刑判決が軽減されると誤信させたことについて

(一) 原告は、被告が、第一回接見時に、原告に対して被害弁償をすれば刑が軽減されるとの趣旨を述べたので、これを信用してしまったと主張し、甲五号証(原告の陳述書)及び原告本人の供述はこれに沿う。

(二) しかしながら、第一回接見時において、被告が原告に対し右の点についていかなる説明をしたのかについて、甲五号証(原告の陳述書)及び原告本人によると、被害弁償すれば間違いないと被告が述べたということにとどまるのであって、それ自体刑が軽減される趣旨を明言したとはいいがたいし、甲四号証(上告趣意書)によると、被告が、第一回接見時に、俺は高裁の裁判長をやった、被害弁償すれば裁判長は見てくれるだろうと原告に対して述べたとの内容を上告審の弁護人に語ったというのである。

ところで、前記のとおり、本件は、Aら三名に対する殺人及びDら二名に対する殺人未遂という重大な結果を生じたものであり、現行の刑事裁判の実情に照らせば、たとえ、三〇〇万円程度の被害弁償をしたとしても、控訴審において、原告の刑が軽減される見通しは相当困難であったことは明らかというべきであるから、これまでの長い刑事裁判実務の経験に照らして、被告が刑の軽減の見込みにつき楽観的な認識を示し、それを原告に告げたことは、到底認めることはできない。

(三) 以上によると、被告から一審判決で指摘された被害弁償を実行することが情状上必要であり、これを行えば裁判長はみてくれるだろうとの説明を受けた原告が、死刑判決からの軽減を強く望んでいたことから、右説明を被害弁償すれば刑が軽減されるのではないかと希望的に解釈したにとどまるものと推認するのが相当というべきである。

右のとおりとすれば、被告が右認定の態様で原告に対し被害弁償を勧めたことは、控訴審における弁護人としてなすべき当然の助言というべきであるから、これを違法と評価することはできないものというべきである。

原告の主張は採用できない。

(四) なお、原告は、被告の説明により刑を軽減する判決が得られるものと信じたため、事実関係について主張したかったことを強く主張しなかったとか、被告に対し、前記の刑事記録差入れのような事由を強く主張しなかったとも主張するが、前記の一審以来の原告の応訴態度、被告に対する手紙及び接見における対応並びに弁論の全趣旨を総合すると、原告が本件犯行の動機につき自己の見解を終始主張していたことは明らかであって、被告の説明により刑の軽減の可能性につき希望を持ったことは認められるものの、それ以上にこれを完全に信用し、そのために他の主張を控えたとは到底認めることはできないものというべきである(控訴審において検察官から提出された答弁書[乙一号証]にも、三〇〇万円の被害弁償によって一審判決が重過ぎて不当であるとは到底認められないとの記載があることからもこのことは明らかである。)。

2  刑事記録の差入れに応じなかったことについて

(一) 原告が、本件控訴審に当たり、被告に対し刑事記録の差入れを依頼したのに対し、被告は、記録の差入れについては、原告の費用負担で謄写を行うのであれば格別、差入れる考えはない旨手紙で伝え、更に第一回接見時に同旨を告げたことは前記のとおりである。

(二) ところで、刑訴法四〇条は、弁護人は、訴訟に関する書類及び証拠物を閲覧し謄写することができると定めているのに対し、同法四九条は、被告人に弁護人がないときは、公判調書は、裁判所の規則の定めるところにより被告人もこれを閲覧することができる(謄写することはできない。)と定めているにとどまる。このように、弁護人がある場合においては、当該弁護人にのみ刑事記録の閲覧謄写権が与えられているのは、弁護人が被告人の利益擁護者であることを前提としつつも、同時に公益の代表者的性格を有することに着目し、弁護人にのみ右権限を認めることによって被告人の利益擁護と刑事記録等の保全目的とを調和的に解決することができると判断されたことによるものと解される(この意味で、右閲覧謄写権は、弁護人の固有権の代表的なものとされている。)。

このように、弁護人には、刑事記録等の謄写権が固有権として付与されているのであるから、その権利を行使するか否かに関しては、被告人の利益を擁護するという窮極の目的に反しない限り、弁護人に広範な裁量権が認められるものというべきである。

そして、本件のような場合には、原告が記録等の写しの差入れを受ける方法は、弁護人である被告に依頼するほかないのであるが、被告が原告の求めに応じて右権限を行使し、その結果を原告に提供するか否かについても、右説示に照らし、原則として弁護人たる被告の合理的裁量に委ねられているものというべきである。

(三) そこで、これを本件についてみるに、被告は、従来から、国選弁護の場合には、原則として刑事記録の謄写は行わず、直接記録を閲覧して詳細なメモを取る方法でも被告人の利益を擁護できるとの見解の下にこの方法を採用しており、本件もこの方針に従ったものであるところ(被告としては自らのために本件記録等の謄写をする必要は認めなかったものである。)、被告は、原告に対し、この方針を説明し、原告が自費での謄写を希望するのであれば別であるとして原告の要請に応じなかったのであるが、原告は、自費での謄写を求めることまではしなかったのである。

被告の記録謄写に関する右の一般的方針が不合理であるとはいえないし、本件において右方針に従った被告の具体的判断が不合理であるとの証拠はなく、また、弁論の全趣旨に照らし、原告は謄写費用を賄う資金を十分有していたことが認められるから、これらの事情を総合すると、本件において、原告の要請に応じなかった被告の措置が、弁護人として許される合理的な裁量の範囲を逸脱した違法なものと断定することは困難というべきである。

原告の主張は、採用することができない。

3  精神鑑定の申出をしなかったことについて

(一) 原告が、被告に対する手紙で、原告は本件犯行当時飲酒状態にあり、善悪の判断がつかない状態にあったと主張し、控訴審において精神鑑定を受けることを希望していたことは前記のとおりであり、被告もこの希望を認識していたことは明らかである。

(二) ところで、第一回接見において、原告の精神鑑定については格別問題とされなかったことは前記のとおりであり(原告も鑑定申出に固執しなかったものと推認される。)、第二回接見においても同様であったと推認できる。

そして、被告は、刑事記録を詳細に検討し、原告に接見した上で、本件において原告の精神鑑定は不要であると判断し、この判断に基づき、被告作成の控訴趣意書においても、原告は物事の判断ができないような精神状態ではなかったと記載し、控訴審の公判前の事前打ち合わせの際にも、精神鑑定についての申出の意思を表明しなかった結果、控訴審においては精神鑑定は実施されなかった。加えて、本件第一審において、弁護人が原告の精神鑑定の申出をしたところ、裁判長からその必要性につき釈明があり、その結果右申出が取り下げられた経緯があり(乙二二号証)、一審判決においても、原告の犯罪性向は責任能力に影響しないと判示されたことは前記のとおりである。

そして、控訴審判決も、原告の責任能力に疑問を懐いていないことは、その判示に照らして明らかである。

(三) 以上のような事実関係を総合考慮すると、控訴審において原告の精神鑑定の申出をしなかった被告の措置は、合理的な根拠に基づいたものと評価できるから、弁護人としての注意義務に違反するものとはいえず、もとより、弁護人として有する裁量の範囲を逸脱しているということはできない。

甲三号証及び六号証によると、原告の上告審における弁護人が、上告理由として原告の責任能力の欠如を主張していることが認められるけれど、前記の事実関係の下における被告の判断が違法であることを認めるには足りないものというべきである。

4  控訴趣意書の内容について

(一) 被告作成の控訴趣意書について、原告は、原告にとって有害無益の記載内容であり、原告を擁護すべき弁護人としての義務に違反すると主張する。

(二) 右控訴趣意書の記載内容は前記のとおりであって、確かに、犯罪の動機については、原告の主張とは異なり、Aは原告から金銭を騙し取る意思で結婚を約束したわけではないが徐々に心が離れていったとの理解を示し、また、本件事件は、原告の前科と関連しているとも指摘しているなど、原告の控訴趣意書とは異なる面を有していることは否定できないが、原告に対し、より軽い科刑に変更されることを要望し、一審段階で原告から被害者遺族に一〇〇万円が支払われていること、原告の性格には、短慮、自己中心的な点が見受けられるが、殺人嗜虐的傾向を有する生来性の常習性犯罪者と断じ、矯正不能とまで論ずるのは極論であること、更に、一審弁護人を通じ、被害者に対し謝罪金として三〇〇万円を交付したことも指摘しているのであって、全体を通覧すれば、原告に有利な情状を中心として記載されていることは明白である。

そして、弁護人の活動には被告人の利益の擁護と公共的立場の調和の観点から、高度の裁量が認められるべきであるという前記の見地から前記控訴趣意書の内容をみると、弁護人として許容される範囲内にあることは明らかであるから、裁量権の逸脱があると評価することはできないものというべきである。

なお、原告作成の控訴趣意書が独立の控訴趣意書としては扱われず、書証として取り調べられたことは前記のとおりであるが、控訴審の判決文と対比すると、右控訴趣意書の内についても実質的に説示されていることを認めることができるから、右取扱いに同意した被告の措置にも格別違法な点はないというべきである。

5  公判廷における具体的弁護について

(一) 原告は、被告が、本件の控訴審の公判期日において、原告の刑の軽減を求める発言を一言も発しなかったし、また、僅か一回の期日で審理を終結させたと主張している。

(二) しかしながら、被告が右期日において、量刑不当すなわち、原告に対する刑の軽減を求める内容の控訴趣意書に基づいて陳述したことは前記のとおりであるし、期日が続行されなかったのは、控訴裁判所の訴訟指揮によるものであるのみならず、一回の期日で終結したことは格別異例であるともいえない。

その他、被告のした公判廷における弁護活動が、弁護人としての裁量を逸脱したことを認めるに足りる証拠は見当たらない。

三  結論

以上のとおりであって、被告人の控訴審の弁護人としての活動を違法ということはできないから、原告に対する不法行為を構成するものではない。

よって、原告の請求は、理由がないので棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官田中壯太 裁判官小西義博 裁判官栩木純一)

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